第61回終戦の日前夜。

 靖国の参拝の問題についてテレビタックルを見ていると、日本の戦争責任は認めるが、東京裁判戦争犯罪については認めないという論調があった。その根拠として、戦争犯罪人は国内法では手続きを得て、「名誉回復をされている。」というものである。この議論を聞いていると日本においては戦後の戦争責任の総括がまったくなされていないのではないかという気持ちになる。
 確かに東京裁判には勝者が敗者を裁くという論理があり、大きな欠陥がある。私はこの欠陥を決して肯定してはいない。しかし、日本はこの裁判の結果を受け入れて、サンフランシスコ条約に調印し、国際社会に復帰してきた事実があるのではないか。国内法において戦争犯罪人が赦免されたことにおいて、拡大解釈でこの東京裁判を否定するのであれば、では誰がいったい、どのようにあの戦争の責任をとり、どのように戦争責任を果たしてきたのであろうか?またこれからどのように果たしていくのであろうか?
 私は戦犯が赦免されたことについては当時の国会の手続きであり、内容について否定はしない。だからと言ってその理由で、東京裁判を認めない立場をとるのは如何であろうか?枝葉に捉われた論理の飛躍と拡大解釈になってはいないのであろうか。
 東京裁判を否定するのであれば、この戦争責任の問題について明確に答えなければならない。また軍国主義の時代に過ちとして認めた政教一致の反省を生かすことなく、戦後においても厚生省が積極的に靖国神社に名簿を提供してきたのはいったいどういうわけであろうか?そして今も政教分離の原則を逸脱した政治家の発言と行動が多いのもどういうことか!
 戦後61年。二度と悲惨な戦争を起こさないためにも今しっかりと日本が軍国主義に陥った原因、そして政教一致の反省について議論を深めなければならないと思う。