第61回終戦記念日

 小泉総理が靖国神社に参拝した。心の問題、私的な参拝であることを強調していたが、中曽根元総理が指摘していたように、「総理、総裁には私的ということは有得ない。」という言葉はまさにそのとおりだと思う。
 A級戦犯が合祀されていることに対してもA級戦犯を参拝しているのではなく、戦争で亡くなった英霊に対し、平和への誓いを込めてお参りしているとのコメントがあった。その思いは大変に大事であるが、自国の英霊だけではなく、隣国の犠牲者に対する追悼の思いはどうなのであろうか?
 靖国神社は戦前は確かに、国の追悼施設的な役割を果たしてきた。しかし、戦後は軍国主義が宗教を政治利用した反省から、国の施設としてではなく、一民間の宗教法人として存続することになった。現在の靖国神社は紛れもなく、民間の宗教法人の一施設である。
 その一施設が、戦前のように国家の特別な追悼施設としての役割を果たすにはあまりにも無理があるのではないだろうか?今の状態で靖国神社にその特別な役割りを果たさせようとするのであれば、国家と国民が意識しなくとも国家権力による宗教利用ではないか。
 公明党神崎代表が遺憾の意を表し、国による国民の追悼施設の設置を要望している。小泉総理と次期首相は日本の戦争責任を明確に総括するべきである。そして戦争犠牲者に対する追悼は感傷による情緒的な対応ではなく、全ての戦争犠牲者を念頭においた、現実的な対応に期待したい。
 追伸・・・昨日言及した戦争責任については本日8月15日付けの読売新聞「昭和戦争本紙検証最終報告」の記事が大変参考になります。