広島平和派遣事業

板橋区の平和派遣事業で広島市に来ています。朝10時半の東京駅集合で、広島に出発。道中公明新聞に掲載してある6月11に成立した改正被爆者援護法の記事を読む。この法律ができるまでは高齢や病身で日本に渡れない在外被爆者の外国人に救済の門戸が開かれていなかった。本年ようやく70万被爆者の内外国人被爆者7万人も救済の道が開かれたのである。日本の官僚制民主主義は1957年から海外に渡った被爆者は援護対象外。更に1974年7月22日に厚生省は海外に持ち出した被爆者手帳は無効とする402号通達を突然通知する。以来海外からの手帳申請ができない差別的な状態が続いていた。もちろんこれは地裁、高裁でも人道的に救済法の主旨に反するとの判決を受け国の失政が断罪されている。広島に到着し、今年80歳になる細川浩史さんの語り部の話しを聞く。皮膚が爛れて助けれなかった中学生の話し。爆心地700メートルで被爆した最愛の妹の最後の亡くなった話しをお聞きする。この妹の生きて生き抜いた話しは「夏服の少女」というタイトルでNHKの番組となっている。今細川さんは海外や日本の若い人達に核兵器廃絶と平和の尊さを訴えている。アメリカの正副大統領経験者で広島を訪れたのはニクソンとカーターだけだという。いずれも現職を退いた後に訪問したそうだが、今度日本でサミットが開催される時には広島で開催し、世界の首脳は平和公園に献花をすべきだと思う。