池上彰の戦争を考える

終戦から65年。終戦の日を迎えた。今年は管総理以下閣僚17名が靖国には参拝せず、政権交代の意味を示した。
池上彰氏の戦争を考えるテレビを視た。この番組は如何に戦争はたやすくはじまり、逆に止めるのが如何に難しいのかを伝えている。またマスコミの責任も重大だと主張していた。例えば国際連盟の脱退を当時の新聞マスコミはもてはやして報道したそうだ。テレビ東京が自らマスコミの自戒を込めた番組を作ったことは評価できる。どこかのテレビ局は見習って貰いたいものだ。
そしてハルノート最後通牒を受け取った日本は自制をなくしてアメリカと開戦する。結局、日本は確たる見通しのないなか泥沼にはまり、原爆投下という最悪の結末を迎えて終戦を迎える。
続いて世界の火薬庫ボスニアを舞台に番組が放送された。
戦火を生き延びた婦人のインタビューがあまりにも辛い内容であった。「希望はありません。死ねないだけです。息子の無念を抱えて生きるのが私の使命です。」と語った。この番組で戦争報道はその時だけ紹介するが実はまだ終わっていないと池上彰氏は表面的な報道姿勢を戒めた。
次に「玉砕」をテーマに番組が編集されていた。日本はミッドウェー開戦から戦局が後退した。ミッドウェーでは日本は散々に敗れていたのをマスコミは敵空母二隻撃沈と戦勝を大々的に報道した。その新聞の社名を良く見ると朝日新聞であった。
日本はこのミッドウェー以降次々と敗戦を重ねた。玉砕の島サイパンではバンザイクリフから身を投げる映像を提供した。サイパン陥落で、日本の絶対国防が守れなくなり、東条内閣は退陣した。アメリカは本土無差別爆撃が可能になったのである。日本はドイツ、イタリアが降伏し、たった一国で世界を相手にすることになる。
その後ポツダム宣言が出されるが日本は黙殺する。その結果広島、長崎に原爆の投下がなされた。
民間の戦争犠牲者は広島と長崎で20万人。満州で20万人。番組の最後で池上彰氏は「始まった戦争はおわらせることができない。あなたは何を学び取ったのか?」と締めくくった。
無能なリーダーに率いられた国民は不幸である。またテレビマスコミの責任も計り知れないくらい大きい。平和を勝ち取るには絶対に戦争を起こさない決意と平和を獲得する行動なくして実現できないと深く考えさせられた。