山口和子先生を囲んで。

 創価大学の学生時代に大変にお世話になった山口和子先生を囲んで近況報告を行った。参加メンバーは10名。28年前は皆貧乏学生であったが、今は社会の中堅としてそれぞれ活躍している。
 創価大学で初めて結成して中国を訪問をした学生友好訪中団の話題に花が咲いた。出発直前に台風で訪中することができず、成田で一泊した。ある方の荷物が行方不明になり、世界一周のあと手元に届いた。40度近い真夏の武漢を訪問した。一転、涼しい石家荘を訪問して皆風邪をひいた。日本ではおめにかかれない大きな丸薬と太い針の注射のお世話になった。記念すべき第1回中国語劇「べチューン」を創価大学で上演することになったのもこの時、石家荘で訪問したべチューン記念病院がきっかけだ。
 北京では北京大学と中日友好協会を訪問。夏休みにもかかわらず、学生訪中団を受け入れて頂き、交流をさせて頂いた。学生手作りの記念品を手渡し、女子学生はゆかたに着替えて盆踊りを披露。即席でも思いがいっぱいにつまった文化交流が懐かしい。そして思いがけず、昭和53(1978)年8月12日 。私達が中日友好協会を訪問している最中に、孫平化秘書長より北京で日中友好条約が署名された事を知らされた。夏の明るい陽射しに皆の顔が一瞬に輝いた青春の思い出である。
 そして28年たった今。「自分の日中友好に対する役割は何なのか?」と自問することがある。「ひとりっこ政策」を推進している中国。将来は日本のように少子高齢化の課題に直面し、年金、医療、介護、地方と中央の格差、デフレ、環境の問題に直面していることは間違いない。その時には日本の教訓が再び必要になるのでなないかと推測している。だからこそ今の自分の足下を深く掘り下げる時なのだと自答する。
 山口和子先生は森光子さんより年長で、今でも年1回は中国鉄嶺を訪れて日中友好の活動を続け、人材育成の活動をしておられる。大変に素晴らしい誰もできない行動である。生涯日中友好。生涯人材育成の姿勢を見習いたいと改めて心に期した懇談会であった。