懐かしき北京留学時代の先輩との語らい。

 北京語言学院に留学していた時の先輩ご夫妻と池袋でお会いした。当然留学時代の思い出話に花が咲いた。留学していた1979年当時は企業派遣の留学生の受け入れが本格的に始まった年であり、定かではないが合計100名以上はいたと思う。78年までは日本人留学生は僅か30名から40名程度であったそうだ。
 当時の留学生の構造は外務省派遣国費留学生、文部省派遣の国費留学生、一流大手企業派遣留学生、企業派遣の留学生、語学専門学校派遣の留学生、日中友好協会派遣の中国国費留学生、同自費留学生等がおり、友好協会派遣の自費留学生であった私は気分的にその中で大変に萎縮していた。というのも就職先が保障されていることもなく、学費にも制限があり、いざ志だけは大きく持ってきたつもりではあったが、実際はかなり心細かったのである。そんな不安を持っていたことを今だから昔を懐かしんで話すことができた。夏休み、冬休みとも旅行にいく費用もなかった私ではあるが、同じく長期休暇に学校で過ごしていた北朝鮮カンボジア、イエメン、マリ等の留学生もたくさんいたことが懐かしい。その時、大変に仲良くなった清華大学建築学科に学んでいたクリバリさんは今はどうしているのだろうか?毅然として礼儀正しく、大変な人物であった。
 留学の出発に際し、後輩の友人T君とS君が成田の飛行場まで見送りに来てくれていたのを思い出した。私の気がきかなかったために、飛行場であうことができず、出発してしまった。機内では同期の友人I君から門出を祝う電報を受取った。北京空港に到着した時はまっくらで大変に心細かった。しかし一番嬉しかったのは到着した留学生の中で、先輩のHさんが飛行場まで出迎えに来てくれていた。
 語言学院は今は大変に発展して、北京語言大学となっている。汽車が走っていた小さな清華園の駅も立派になって商店ができたり、環境は激変しているそうである。これからの季節は学校内にあるフランネルの花が美しく咲く季節である。機会があれば又青春の思い出の地に訪問してみたいと思う。その前に今度語言の時のバレーボール部のメンバーにこの12日に会えるのが楽しみである。